日本ワインコラム |グレープ・シップ
倉敷駅から20分程車を走らせ、岡山県倉敷市船穂町にやってきた。倉敷といえば、昔ながらの白壁の街並みが美しい美観地区や日本初の私立西洋美術館である大原美術館が頭に浮かぶ。そういえば、国産ジーンズの発祥の地でもあったよな…あ、桃やブドウといったフルーツも捨てがたい…なんてことを思いながら到着したのが、今回の取材先のグレープ・シップ。
「晴れの国おかやま」として知られる岡山県の中でも瀬戸内側に位置し、温暖な瀬戸内海式気候に恵まれた場所で、マスカット・オブ・アレキサンドリアという品種を中心に栽培しナチュラルワインを造っているワイナリーだ。代表の松井さんとスタッフの木曽さんに色々とお話を伺った。
ワイン造りのきっかけ
松井さんは関西でフレンチのシェフとして長く活躍していたが、料理人としてフランスに留学した時にナチュラルワインと出会い、魅了される。その際、現地のワイナリーでブドウ栽培とワイン醸造に携わることに。帰国後もシェフを続けたが、ワインに携わりたいという気持ちが大きくなり、ブドウ栽培から始めようと一大決心されたのだ。
北海道を始めとする日本ワインの有名産地への移住も検討したそうだが、出身地の倉敷はブドウ栽培で有名で、親元にも近い。松井さんは2010年にUターンする形で船穂に移住し、2年間の農業研修を経て、2012年にマスカット・オブ・アレキサンドリアを栽培し始める。
マスカット・オブ・アレキサンドリアを選んだのは、
「単に好きなだけ」ではあるが、「農家の高齢化で畑が耕作放棄地になったり、シャイン・マスカットの人気で栽培を切り替える農家が増えたりする中、マスカット・オブ・アレキサンドリアが衰退するのを何とかしたいという思いが強くなった。シャイン・マスカットの人気が高くなればなるほど、負けたくないという気持ちも盛り上がった」
と胸の内を明かしてくれた。
マスカット・オブ・アレキサンドリアの全国生産量の9割以上を占める岡山県の中でも、船穂地区は一大産地だ。この地で昔から栽培されてきた愛着あるブドウを残したい。そのためにも美味しいブドウを栽培し、生食の文化を絶やさないと共に、美味しいワインを造ることで文化の裾野を広げよう!そう決心したのだ。
有機JAS認定を受けた畑での取り組み
新規就農ということもあり、纏まった土地を入手するのは難しく、少しずつ畑を拡大してきた松井さん。現在はワイナリー近辺に13の圃場が点在する形でブドウ栽培を行っている。フランスでナチュラルワインに感銘を受けたこともあってだろう、グレープ・シップではワイン用ブドウは有機栽培、醸造の過程でも人為的介入は最小限に抑えられたワイン造りが徹底されている。まずは、畑に足を踏み入れよう。
恵まれた環境の畑
ワイナリーをお邪魔したのは、大雨の翌々日でまだ曇り空が残る空模様ではあったが、雲の切れ目に日差しの強さを感じる。やはりここは「晴れの国おかやま」で、日照時間も日照量も多い場所だ。そしてワイナリーから畑に向かう途中、瀬戸内海を遠目に眺めることができる距離感で、海風を常に感じる場所。ブドウにとって最高の環境だ。
耕作放棄地となったビニールハウスを譲り受けブドウ栽培しているので、雨対策もバッチリだ。また、花崗岩の上に砂質の土がある砂壌土と呼ばれる土壌環境で、水はけもよい。なお、ハウス栽培ではあるが、施肥や灌水も行わないとのことで、適度にブドウにストレスがかかる環境にあり、小粒で凝縮感のある果実が育つ。
有機JAS認定を取得
グレープ・シップでは有機JAS認定を受けた畑でワイン用ブドウを栽培している。有機JASと聞いて「あ、あのマークね」と簡単に捉えてはいけない。認定を受けるためには様々な基準を満たす必要があり、条件をクリアしていることを証明する書類作成、認定を受けるコスト等々、生産者側の負担は少なくない。「いや~大変でした!」と木曽さんはからっと笑っておられたが、その道のりは相当大変だったに違いない。
ブドウ栽培環境に恵まれているとは言え、湿気の多い日本ではウドンコ病といった病気にはかかりやすいし、カメムシといった虫の被害もある。しかし、有機JAS認定を受けているので、気軽に農薬は使えない。重大な損害が生ずる危険がある場合にのみ、化学的に合成されていないJASの認定を受けた農薬だけ使うことが許されているのだ。だからこそ、日頃からこまめに畑を管理する必要があるし、先手の対策が肝要で人手もかかる。この人手の部分については後述を参照してほしい。
栽培品種選び
「マスカット・オブ・アレキサンドリアの灯を絶やさない…そのためには食用も絶やしてはいけないし、ワインという新しい文化も伸ばす必要がある」という思いからブドウ栽培を始めたこともあり、松井さんは生食用から栽培をスタート。そして今では収益の7割を占める経営の基盤となっている。
ここのテロワールの特徴は、食べておいしいブドウが育つということ
と太鼓判を押す松井さん。なお、生食用ブドウは慣行農法で栽培し農協に出荷している。
一方、ワイン用ブドウは前述の通りJAS認定の有機栽培。白ブドウはマスカット・オブ・アレキサンドリアを筆頭にソーヴィニヨン・ブラン、シュナン・ブラン、マルサンヌ、黒ブドウはシラー、グルナッシュ、小公子を栽培している。栽培品種は松井さんの好きな品種ということが前提にあるものの、温暖な地域での栽培に適しているものを選んでいるそう。
例えば、ソーヴィニヨン・ブランやシュナン・ブランは冷涼な場所でも栽培されているが、温暖な場所でも多く栽培されている。シラーやグルナッシュ、マルサンヌについては、南フランスのワイン産地であるローヌ地方の代表的な品種であり、温暖な環境を好む品種だ。
因みに、ソーヴィニヨン・ブラン、シュナン・ブラン、マルサンヌの3品種は2018年から試験栽培を始めたもの。収量はそこまで多くなく、現在はマスカット・オブ・アレキサンドリアと混ぜたブレンドで醸造されている。品種を増やす予定はないとのことだが、「シュナン・ブランの栽培を増やしていきたい」と松井さんは意気込んでおられたので、今後も注目だ。
夢が叶ったワイン造り
2012年に新規就農してから、いつかワイン造りも挑戦したいと考えていた松井さんに転機が訪れる。
フランスにおける日本人の個人ワイナリーのパイオニアとも言われる大岡氏が、長年拠点としていたフランスのローヌ地方から帰国し、岡山でワイナリー「ラ・グランド・コリーヌ・ジャポン」を開設することになったのだ。実は、松井さんがフランス留学中に働いていたワイナリーは大岡氏のところ。その大岡氏が同じ県内でワイナリーを開設することになったのは運命の巡り合わせだろうか。
2017年、松井さんは大岡氏のワイナリー立ち上げに従事し、ナチュラルワイン醸造のイロハを学んだ。同年、ワイン用のマスカット・オブ・アレキサンドリアの収穫に成功し、ラ・グランド・コリーヌで委託醸造、2019年には自身初のナチュラルワインが出来上がる。そして、2021年に満を持しての念願の醸造所が完成したのだ。
ブドウだけを使ったワイン
有機栽培で自然に負荷をかけずに栽培されたブドウ。そのブドウを醸造する際は一切の添加物を加えない。100%ブドウからワインを造る-これがグレープ・シップの醸造方針だ。
収穫後のブドウは、手作業での選果・除梗を経て、野生酵母で発酵される。補糖・補酸は一切なし。また、亜硫酸の添加もない。ブドウを優しく扱うためにポンプは用いず、果実や果汁を移動させる際には高低差を利用したグラヴィティ・フローを用いている。
発酵後、樽熟成を加えるものは樽へ。瓶詰めの際は清澄もフィルターも行わない無濾過。ワイン本来の香りや味わいをダイレクトに堪能できる仕上がりになっている。
似て非なるワイン
畑はワイナリーから500m以内に点在する形で13圃場ある。一つ一つの区画は小さいが、松井さんは
全部合わせたものを一区画と考えて、ブドウの状態に合わせて収穫を複数回行う
と言う。マスカット・オブ・アレキサンドリアは3回に分けて圃場を周って収穫されている。1回目は大房なものを早摘みし、ライトな仕上がりにする「mellowイエローラベル」用。2回目はその2週間後に収穫し、マセラシオンを行う「mellowブルーラベル」用。そして最後は、11月~12月頃まで収穫を遅らせる遅摘みタイプ。こちらは樽熟をかけるリッチな仕上がりになる。同じマスカット・オブ・アレキサンドリアでも全く表情の異なるワインに仕上がるのだ。
また、ヴィンテージによる違いも見逃せない。例えば、遅摘みタイプのマスカット・オブ・アレキサンドリア。2021年はゲリラ豪雨の影響で不作となり、農家仲間から分けてもらった遅摘みのマスカット・オブ・アレキサンドリアで仕込んだそう。貴腐菌が付着したブドウで糖度も非常に高い仕上がりに。2022年は空梅雨で台風の影響もなく、12月末まで収穫を遅らせたブドウを使って樽発酵、樽熟成させたもの。そして直近の2023年は秋も暑かったことからレーズン化したブドウでワインに。例年、遅摘みタイプのワインは5、6樽分になるが、この年は1樽もないほど!それぐらい凝縮されたブドウなのだ。同じ遅摘みと言っても、ヴィンテージ毎に味わいが異なる、まさにテロワールを楽しむワインなのだ。
うちのワインはラベルも似ているし、ぱっと見差が分かりにくいかもしれないけど、仕込み方法やヴィンテージによって味わいが大きく異なる、似て非なるもの
と松井さん。同じブドウ品種でこんなにも表情が変わるのか…!という驚きを楽しめるラインナップなのだ。
地域への思い
地元の名産、マスカット・オブ・アレキサンドリアを絶やしたくないという思いで、真摯に畑に向き合う。こうしたひたむきで実直な姿を目の当たりにすれば、周りの農家が頼りたくなるのも分かる。小さな圃場がいくつもあるのは、周りの農家から信頼を得て、圃場を受け継いできた証なのだ。
農福連携で地域との接点を増やす
農地が広がるのは有難い事ことだが、労力が増えることも意味する。しかも一つ一つの圃場が小さいので、機械化も難しく人手がいるのだ。そんな中、松井さんは知人農家から、近隣の就労継続支援B型事業所がブドウの出荷箱折りを請け負っていることを知り、2019年から農福連携として作業を委託し始めた。 ワイン用ブドウ畑の草刈りやブドウの誘引作業をお願いしている他、ブドウの選果や除梗まで対応してもらっているとのこと。ブドウを有機栽培する以上、除草剤は使えないが、下草が生い茂ればそれだけ虫を寄せ付け、虫を媒介した病気にかかるリスクも増える。「すごく丁寧に作業してくれる」と木曽さんが仰る通り、畑の草管理はバッチリだ。選果も除梗も手で作業してくれるので、ブドウを優しく扱うことができるし、細かい病果もはじくことができる。
確かに農福連携をお願いする以上、予想外の労力がかかることもあっただろうが、今ではなくてはならない戦力でチームの一員。話を聞いているとそういう意識を持たれているのが良く分かる。地域のためにできることを常に模索する。そして実践してみる。口だけではない行動を伴う姿勢がただただカッコいい。
地域の名産の桃を使ったワインに挑戦する
醸造所の中に入ると、果物の甘い香りに包まれた。ふと視線を送ると、数名のスタッフの方が一心不乱に桃を剥いている。その奥の冷蔵スペースには、箱詰めにされたキレイな桃が積み上げられていた。清水白桃という、岡山県の中で頂点に立つ最高品種の白桃でワインを造っているのだ。
生食用ブドウの栽培やワイン醸造に携わる人を増やし、ブドウの文化を継承していきたいと考える松井さんは、後進の育成にも積極的。グレープ・シップで若手生産者を受け入れている中、今度、ある研修生が独立するそうで、そのサポートの一環として桃ワインを醸造しているそう。
長野のシードルのように、岡山ならではの桃ワインを造るという新しい取り組みだ。マスカット・オブ・アレキサンドリア同様、地元の桃の生産量は減少傾向にあり、この状況を打破したいという思いもある。最終的なワインのスタイルは確定していないが、試飲させて頂いたワインは微発泡スタイルで後味に桃の香りが口の中に広がりつつ、種周辺の果肉から得られるタンニンも感じる、なんともオシャレな味わいだった。発売が今から楽しみ!
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取材の終わり、「理想を100点だとすると現状は何点か?」という質問をしたところ、思いもしない答えが返ってきた。
ずっとワイナリーをしたいと希望していたけど、簡単にできるようなものでもないし、まさかその夢が叶うとは思ってなかった。農業を始めて14年、流れに乗ってここまで来られたが、夢が達成されたようなもの。今はもう、オマケのような人生で、ワイン造りはボーナス期間だと思っている。その上で、美味しいと言って飲んでもらえるなんて有難い限り。ここまで来られない人も沢山いる中、『XXが未達成』と言うなんておこがましい。今の状態だけで満足している。
なんて素敵な言葉だろう。
確かに、生食用ブドウで経営が安定していることや、実際にワイナリーを造るという大きな夢が達成されたという事実があるからこその言葉だと思うし、もしそうでなければ、違う回答になっていたかもしれない。だけど、松井さんの言葉からは、常に「今」を有難く思うという基本姿勢が見えてくる。驕ることも卑下することもなく、冷静に自分を俯瞰するからこそ、余分なことを考えずに肩の力を抜いて、やりたいことに向き合えるのだろう。人はないものに目を向けがちだけど、あるものにも目を向けるべきだ。そういう気持ちにさせられる。
マスカット・オブ・アレキサンドリアに魅了された松井さんのワイン造り。一口では語り切れない、色んな表情を見せてくれるラインナップなので、ぜひ色々と試してみてもらいたい!
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